鶴澤 藤蔵さん

2019年12月7日更新

 

 

文楽三味線奏者、鶴澤藤蔵さんに、本公演以外での演目、赤坂文楽♯22(2020年2月25日)、ロームシアター京都(2020年2月29日)にてそれぞれ演奏される「関取千両幟」、「木下蔭狭間合戦」についてお話をうかがいました。

“おとわ”のクドキは聴きどころ
「相撲取を男に持ち、江戸長崎国々へ、行かしやんすりやその跡の、留守はなほ 更女気の、独りくよく物案じ。夫に怪我のない様にと、祈る神様仏様、妙見様へ精進も、戻らしゃんして顔見るまで、案じて夜を寝ぬ女房の、今のこの切なる苦しみを、連れ添ふ私に言はしゃんせぬ、お前はそれほどつれない」、というくだりです。

相撲取り猪名川の女房である“おとわ”のクドキはテンポもよく、同じ世話物でも「お園(艶容姿女舞衣 酒屋の段)」のしっとりとしたクドキとは対照的ですし、時代物の名作「絵本太功記 尼ケ崎の段」に登場する光秀の妻、操のそれとも異質。江戸時代、庶民の英雄でもあった力士とその女房を描くわけですから、明るい感じの曲になったのではないでしょうか。三味線では「おもしろい手」がついています。

赤坂文楽技芸員トーク 豊竹呂勢太夫さんと鶴澤藤蔵さん

豊竹呂勢太夫さんと 赤坂文楽トークコーナーにて


僕が弾かせて頂いたときは、松香(豊竹松香太夫)さんが鉄ケ嶽を、父(竹本源太夫)がおとわだったんですが体調が悪く、代わりに出てくれたのが呂勢さんでした。三味線は僕と清志郎くんで、亡くなられた寛治師匠(七代目 人間国宝)にお稽古をつけてもらいました。この作品だけに限りませんが、お稽古をつけて頂く師匠によって、弾き方やテンポが違って若いころは戸惑いもあったりしましたが、後年そういうもんなんやと気がつきました。
三味線は師匠からの教えを受け継いでいきますが、伝えられていく中で手が加えられ、拵えられ少しずつ変化してきたものもあるのでしょう。この猪名川内から相撲場の段での曲弾きにもその傾向は大いにあると思います。
この場はテンポもよく、曲弾きがあり、髪をすくシーンには胡弓がつかわれるなど、初心者の方や赤坂文楽でよく見かける外国人の方にも気軽に楽しめる、聴きどころの多い作品と思います。

鶴澤藤蔵さんは、1976年に十世竹澤弥七に入門、鶴澤清二郎を名乗る。1978年、鶴澤清治の門下となり、1983年大阪朝日座『鳴響安宅新関』「勧進帳」のツレで初舞台。2011年、二代目鶴澤藤蔵を襲名。

 入門してから、稽古は清治師匠につけていただきました。ここはこう弾くんだよ、ここから入りなさい、と教えを頂きましたが、最初は師匠を真似る、覚えるだけで精一杯。その後、僕が父(竹本綱太夫)の三味線を弾くようになると、清治師匠から「兄さん(竹本綱太夫)の語りはこうやから、お前はこうやって弾くんだよ」とより具体的になっていきました。その頃稽古の時、清治師匠は「兄さん、聞かしてもらいます」と言って父の横に座られ、終わると父が清治師匠に「清治君、直すとこ、言うたってな」といい、「ここではこう出て…となります」とダメなところを何度も繰り返し直されました。でも、だんだん稽古をお願いしても断られるようになりました。
ある日、「もういいだろう」と清治師匠がおっしゃりました。「教えることはもう教えたので、あとは太夫との呼吸や間、かみ合い。どこで出ていったらいいか、などは教えられるものではない。僕が教えてもかえって邪魔になるから、太夫と実践的に作り上げていけばいい。僕も越路師匠の三味線を弾いていたときはそうだった」。そして、「鶴澤清二郎は竹本綱太夫との世界を作りなさい」、と。清治師匠がやり方を伝えてしまうと清治師匠と竹本綱太夫の世界になってしまうから、とそのような言い方をされましたね。

父(竹本綱太夫)の三味線を弾くようになり、最初は父の勢いに僕はついていくだけで精一杯。「お前の三味線は太鼓よりマシや」と悪態をつかれました。周囲も驚くほどコワい父でした。

ある年の10月、僕が巡業に出ていて11月の稽古がよう出来んかって、巡業を終えて稽古に行ったら「ようそれでワシの前に出てこれたな。顔洗って出直して来い!」、と机をたたかれ叱られました。曲はこの11月公演でやっていた九段目(山科閑居の段)の奥でした。
晩年父は体力が弱ってきたせいか、舞台を終えると「それで良かったかいな」、「お前の三味線でないとわしはよう語らん」って僕をあてにしていましたが、60代のころはメチャメチャ怖かったですよ、それだけ芸に厳しかった人でしたが。
赤坂文楽での曲弾きは、清志郎君と二人でやります。本公演では基本一人で演奏しますが、二人でやる曲弾きはめったにありませんので、ぜひご覧いただければ嬉しいです。


そして、赤坂文楽の4日後に、ロームシアター京都にて、「木下蔭狭間合戦 竹中砦の段(このしたかげはざまがっせん)」に出演される。

この作品は、いわゆる太閤記物のひとつと言われる時代物です。人形浄瑠璃の座が相次いで歌舞伎に明け渡す混迷期をようやく過ぎ息を吹き返す人形浄瑠璃

曽根崎心中 天満屋の段/ 赤坂文楽にて  写真/ 渡邉 肇

 

復興の先駆けとなった作品でもあります。将軍足利義輝を滅ぼそうとする管領三好長慶と美濃の斎藤道三・義龍親子の画策を、尾張の小田春永(信長)か阻止しようする背景を基に、斎藤家の軍師竹中官兵衛の葛藤、春永家臣の此下当吉(秀吉)と石川五右衛門との出会いと対立とをからませた全十段という長いお話で、この七段目の竹中砦は最大の山場でありましょう。

竹中砦は切場にあたる重要な場面です。父と復曲を試み、2003年の素浄瑠璃の会で演奏いたしました。津駒さん(竹本津駒太夫)は、師匠である竹本津太夫師匠が語られていましたので、今回ご一緒させていただきます。合戦場での諜報戦、そこに様々な愛憎が加わり、登場人物も多く見ごたえある作品です。

鶴澤藤蔵 今後の出演情報
12月公演「一谷嫩軍記 熊谷桜の段」
1月初春公演「加賀見山旧錦絵 長局の段」
2月公演 未定
2月25日 赤坂文楽#22「関取千両幟」
2月29日 ロームシアター京都「木下蔭狭間合戦」

鶴澤藤蔵プロフィール
1965年大阪生まれ。1976年、十世竹澤弥七に入門、文楽協会研究生となり、清二郎を名乗る。1978年、鶴澤清治の門下となり、1983年大阪朝日座で初舞台。1996年父竹本綱大夫(竹本源大夫※)の三味線を弾くようになる。2011年、親子でそれぞれの祖父の名跡を襲名。二代目鶴澤藤蔵となる。2006年国立劇場文楽優秀賞、2011年伝統文化ポーラ賞奨励賞、2012年日本芸術院賞などを受賞。

※竹本源太夫 1946年に後の8代目竹本綱大夫に入門し、織の大夫を名乗る。1963年に織大夫を、1996年に九代目竹本綱大夫を襲名。2011年、九代目竹本源太夫を襲名。2014年に引退。2015年7月20日逝去。1994年、紫綬褒章受章、2003年に日本芸術院賞、2007年に重要無形文化財保持者(人間国宝)に認定された。

2019年11月 感謝

赤坂文楽#22

ロームシアター京都 文楽公演



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