「伊賀越道中双六」の魅力 「岡崎」を中心に⑬

2013年12月6日更新

 

2013年9月29日 犬丸治 FBより転載。

国立小劇場・文楽「伊賀越道中双六」第八「岡崎」。
近松半二の理想主義と、政右衛門の巳之助殺しという究極の行動の意味が明らかになるのは、続く山田幸兵衛の述懐です。

幸兵衛は、庄太郎(政右衛門)の「丈夫な魂」を見届けたからは、何を隠そう、股五郎は奥へ来ている、と打ち明けて老母に呼びにいかせます。
政右衛門は、ここで股五郎を生け捕りにしてと待ち構えるうち、現れた「澤井股五郎」は、言うまでも無く和田志津馬でした。
「ヤアこなたは」「こなたは」。義兄弟は意外な展開に言葉がありません。
ここで幸兵衛むんずと居直り、「唐木政右衛門、和田志津馬、不思議の対面満足であろうな」。いよいよ半二一流の伏線に満ちた謎解きドラマの終段です。

幸兵衛は、娘お袖の縁談のとき、股五郎には直接会っていませんが、義理ある澤井城五郎から年齢人相は聞いていました。だから、志津馬が自分は股五郎と名乗った時から、怪しいと見破っていたのです。
しかし「わが弟子の庄太郎が政右衛門ということを知つたは漸々たつた今。(略)子を一抉りに刺し殺し、立派に言い放した目の内に、一滴浮む涙の色は隠しても隠されぬ。肉親の恩愛に初めてそれと、悟りしぞよ」。
幸兵衛には「鬼一」という気骨ある険しい老人の首(かしら)を使います。その男が「一滴の涙」にかたくなな心を動かされる、というのが半二らしい情の濃やかさです。

幸兵衛は股五郎個人に何の恩義もないのですが、城五郎経由の縁談が因果となり、股五郎に組することになりました
これは「沼津」の十兵衛も同じですね。十兵衛が父平作に対して口を閉ざすのは、股五郎を庇っているのではなく、頼まれた城五郎への恩義です。
この時代に生きた人たちは、みな見えざる義理の糸のしがらみに絡めとられていたのです。

「悪人に与してくれと頼むに引かれず、現在わが子をひと思いに殺したは、剣術無双の政右衛門。手ほどきのこの師匠への言訳、ヤモさりとては過分なぞや。
その志に感じ入り、敵の肩持つ片意地も、もはやこれ限り、たゞの百姓。
町人も侍も、変らぬものは子の可愛さ、こなたは男の諦めもあろう。最前ちらりと思い合わす順礼の母親の、心が察しやらるる」。
巳之助の犠牲が一徹な老人の義理をすてさせ、もとの百姓という自分自身をみつめなおすきっかけとなり、「町人も侍も、変らぬものは子の可愛さ」という階級を超えた普遍的な人間愛が浮かんできます。逆に、それすらをも犠牲にして政右衛門が守ろうとしたものは何か、ということになります。
股五郎が行家を殺さなければ、いずれ政右衛門とお谷は勘当を許され、平凡な生活を送っていたはずで、それが大名と旗本のメンツ争いに発展、二人の運命を大きく揺さぶる
その「ままならぬ世」だからこそ、「義」は貫かねばならぬ、ということでしょう。

さて、幸兵衛が見咎めた、政右衛門に「一滴浮かぶ涙の色」ですが、それを太夫は政右衛門の行動のどの部分で暗示するか。
豊竹山城少掾は、
①「その片割れのこの小倅、血祭に刺し殺したが頼まれた拙者が金打」の「この」で涙をにじませ、「コココの小倅」と内心の動揺を見せる。
②「死骸を庭へ投げ捨てたり」の「投げ」の語尾を「ゲエエエ」とウレイを効かせて、「捨てッ」と力強く語りきる
③幸兵衛の「大事な人質なぜ殺した」から「ム、ハヽヽヽヽヽ。この倅を留め置き、敵の鉾先を挫こうと思召す先生の御思案、お年の加減か、こりやちと撚が戻りましたな」という政右衛門のコトバの間に「ウム」と一言入れ、涙を呑み込んだことを示す。
以上三つのやり方を適宜使い分けている、といいます。
聞き過ごしてしまいそうな細部にまで、演じる者の魂が宿っているのが浄瑠璃の世界です。


なまえ
犬丸 治   いぬまる・おさむ
演劇評論家
 1959年東京生れ。慶應義塾経済学部卒。
「テアトロ」「読売新聞」に歌舞伎評掲載。歌舞伎学会運営委員。著書「市川海老蔵」「歌舞伎と天皇 『菅原伝授手習鑑』精読」(いずれも岩波現代文庫)ほか。

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