「伊賀越道中双六」の魅力 「岡崎」を中心に⑩

2013年11月26日更新

 

2013年9月26日 犬丸治FBより転載。

国立小劇場・文楽「伊賀越道中双六」第八「岡崎」を続けます。
話が前後しますが、お谷が雪の中、幸兵衛内の門口まで辿り着き、寒さと癪に苦しむとき、最初にそれを見つけるのが、夜回りの親爺です。
この夜回りとお谷の話し声で、内の政右衛門が門口から何気なくのぞき、思いがけなくお谷がいるので愕然とする段取りなのですが、名人上手、たとえば山城少掾・清六のCDなどを聴くと、実に飄々として、この悲劇のなかの一スケッチになっています。
前に話した捕手の動き、老母のひとことや、幸兵衛を呼びに来る庄屋の歩きでもそうですが、その語りわけ一つで、サッとドラマの色、景色が変わっていくのが、人形浄瑠璃・義太夫の面白さと深さです。

この夜回り一人にしても、小提灯を掲げて、はじめは
「ヤイヤイヤイ。軒下になんで寝るのじやい、きりきり往け」とお谷を邪険に扱うのですが、話を聴くうちに、「フウ、見たところが、小盗する風俗とも見えぬ。この雪に乳呑子抱へ、難儀じゃやあろのう。どこぞ後生気な所を頼んで、泊めて貰わしやれ」とやさしくなっていく。
この役だけでもそれだけの心理描写を大夫三味線は聴かせるわけです。
『「エヽ、見れば見る程、ころあいな好い女房。一人寝さすは残念なれど、この方も寒気に閉じられ、痩畑の鬼灯で、あつたらものを見逃すこと」と、つぶやき帰るも頼みなき』。
この、「痩畑の鬼灯」というのは、せっかく上物をみつけたのに、あいにく寒さで男の一物が役に立たない、という意味です。つまり、そうでなければ、この場でいい目を見せてやろう、という好色をこの夜回りは持ち合わせている
江戸時代の旅、しかも女子のそれはとりわけこうした危険と隣り合わせだったに違いありません。
南北の芝居で、良く人足や無頼漢に「百万遍となるところを」助かったなどとあるのは、輪姦のことです。
この夜回りの男は、こうしたお谷の旅の孤独と侘しさを点綴する効果もあるのです。

最後の「つぶやき帰る」も、大夫は、口の中でブツブツ言いながら、雪道をとぼとぼ帰る男を描いているのです。
名人大隅太夫の「岡崎」では、この「つぶやき帰る」の一句の音遣いのうまさで、毎日聴衆をワーッと感嘆させていた、と杉山其日庵は書いています。


なまえ
犬丸 治   いぬまる・おさむ
演劇評論家
 1959年東京生れ。慶應義塾経済学部卒。
「テアトロ」「読売新聞」に歌舞伎評掲載。歌舞伎学会運営委員。著書「市川海老蔵」「歌舞伎と天皇 『菅原伝授手習鑑』精読」(いずれも岩波現代文庫)ほか。

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