「伊賀越道中双六」の魅力 「岡崎」を中心に①
2013年10月17日更新
十一月大阪国立文楽劇場・文楽は近松半二「伊賀越道中双六」の通しです。
今回は、九月東京公演「伊賀越」と違い、久々に大序「鶴が岡」が出ます。これによって「伊賀越」は原作にあって出ない部分もありますが、「通し」として一貫しますし、この地味でカライ浄瑠璃を敢えて地元大阪の客に問い、かつ技芸員の練磨伝承に資そうという、文楽総体の意気を感じます。
この大阪「伊賀越」公演を何としても成功させたい。そこで、私が九月自分のフェイスブックで「伊賀越」について書いたものから、抄録・転載していきたいと思います。
ただ私の専門は歌舞伎なので、「なぜ名作『岡崎』は歌舞伎にかからないのか?」という問題意識が底流にあることをご理解ください。
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2013年9月15日 犬丸治フェイスブックより。
今月の国立小劇場・文楽は、近松半二作「伊賀越道中双六
東京では十五年ぶり。「伊賀越通しは入らん」が幕内の通
十一月には大阪国立文楽劇場で文楽「伊賀越」が、国立大
そこで、歌舞伎「伊賀越」については十一月にお話すると
「伊賀越」は剣豪荒木政右衛門の有名な伊賀上野での「決
「曽我」「赤穂義士」と並んで「日本三大仇討」というこ
岡山池田家の藩士・河合又五郎が、同輩の渡辺数馬の弟源
又五郎は江戸の旗本安藤治右衛門らのもとに身を寄せます
「河内山はご直参だぜ」ではないですが、大名に旗本への
ここで事件は「大名対旗本」の面子争いになってきます。
さらに言えば、「仇討ち」は目上の人を殺されたからする
結局寛永十一年(1634)、渡辺数馬は姉婿荒木又右衛
この事件は、実録本で江戸期の人々に知れ渡り、浄瑠璃・
安永六年(1777)の歌舞伎「伊賀越乗掛合羽」と、そ
これが名作者近松半二の絶筆であり、一時代を画した「竹
「道中双六」は、江戸時代同時代の事件をそのまま脚色で
大序「鶴が岡の段」(十一月大阪で出ます)では、上杉の
さらに瀬川の身請けの金子のかわりに正宗の名刀を質物に
これに怒ったのが父の和田行家(わだ・ゆきえ)で、志津
実説では討たれたのは弟源太夫ですが、そうすると正式な
この大序が出ると、後に「沼津」でお米(瀬川)が十兵衛
同時に和田志津馬のダメ男ぶりが浮き彫りになり、こんな

- 犬丸 治 いぬまる・おさむ
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演劇評論家
1959年東京生れ。慶應義塾経済学部卒。
「テアトロ」「読売新聞」に歌舞伎評掲載。歌舞伎学会運営委員。著書「市川海老蔵」「歌舞伎と天皇 『菅原伝授手習鑑』精読」(いずれも岩波現代文庫)ほか。