「岡崎」の衝撃

2013年9月4日更新

 

4113011495先日、さる席で、今月国立劇場「伊賀越道中双六」にちなみ「岡崎」について映像資料など交えて話をする機会があった。

最後に、「おまけですが」と山城・清六のCD「岡崎」を聴かせたら、それまで一時間余の話も、映像もすっ飛び、会場はその迫力に圧倒されてしまった。

昔は、山城や先代綱大夫のレコードを見つけてはせっせとカセットにダビングしていたものだが、最近は大正・昭和初年のSP音源のCD化が急速に進み、これら近代文楽の名人たちの至芸に容易に触れることが出来るようになったのは、嬉しい。

 

「岡崎」は、観ていても、聴いていても、実に渋く、地味な浄瑠璃である。しかも最後、唐木政右衛門は最愛の赤子・巳之助を刺し殺し、庭に投げ捨てる。「近代人にはとても理解できない」という先入観から、歌舞伎ではもう四十年以上出ていない。これからも出るのは難しい。つまり、文楽こそが、「岡崎」を守っていくのだ。

 

山城を聴くと「すでにその夜はしんしんと 遠山寺に告げ渡る」で、侘しさと寒さでぐっと締め付ける。

ついで、政右衛門の入り込みから捕手との立ち回りの人物の仕分け、口さばきの良さに引き込まれる。ここは政右衛門、ここは捕手A,Bとちゃんとわかる。当たり前だが、最近の人はそうはいかない。

 

お谷の出になり、癪になっての苦痛、「生きていたい」の絶唱から、政右衛門の「女房ヤァイ」からタテ詞になり「必ず死ぬるな」の一言を聴いていて、唐竹割に頭をぶち割られたような衝撃を受けた。ここで詳しく述べる余裕はないが、政右衛門とお谷が辿ったこれまでの夫婦の旅路、情愛、ままならぬ世への怒り、それらが全て凝縮され、怒涛のように迫ってくる。

これだけの人間ドラマをもち得ただけでも、我々が文楽を誇りにせねばならない。そして守り抜かねばならない。

今回、この地味な狂言を会えて通す技芸員のイキに期待する。

 

山城・清六の「岡崎」は、ニットーレコードで録音されたが発売された記録がなく、幻とされてきたが、大阪船場で繊維業で成功された方の芦屋の自宅に音源盤が保存され、奇跡的に空襲を免れた。

我々は時を超えて、昭和三年録音のこの至高の芸を堪能できる。

技芸の神に感謝するのみである。


なまえ
犬丸 治   いぬまる・おさむ
演劇評論家
 1959年東京生れ。慶應義塾経済学部卒。
「テアトロ」「読売新聞」に歌舞伎評掲載。歌舞伎学会運営委員。著書「市川海老蔵」「歌舞伎と天皇 『菅原伝授手習鑑』精読」(いずれも岩波現代文庫)ほか。

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