「伊賀越道中双六」の魅力 「岡崎」を中心に⑧

2013年11月22日更新

 

2013年9月24日 犬丸治FBより転載

国立小劇場・文楽「伊賀越道中双六」第八「岡崎」。
山田幸兵衛老人が庄屋に向かったあと、庄太郎こと唐木政右衛門と老母の二人になります。(奥には、沢井股五郎になりすました志津馬とお袖がいますが、政右衛門は知りません。また、葛篭には悪党眼八も忍んでいます)

「戻らしやるまで寝られもせまい。糸紡ぎながら話しましょう」と老母がいいますが、この「寝られもせまい」が、豊竹山城少掾は「これは何ということなしに自然に独言のように」政右衛門に対話するのではなく言わねばならず、その先輩で名人の大隅大夫も一生に一度もその気持ちで語れなかったと述懐したそうです。
政右衛門は、幸兵衛の帰るまでタバコの葉を切り、老母は糸車を紡いでいます。
そこでこの場を「莨切り」とも言います。

ここで、乳飲み子を抱いた順礼姿のお谷の出になります。

「外は音せで降る雪に、無惨や肌も郡山の、国に残りし女房の、思いの種の生れ子を、抱いて遙々海山を、辿り辿りて岡崎の、宿より先に日は暮れて、いづくを宿と定めなく…」
ここにわざわざお谷を出すことに、評者から如何にも芝居くさいとか技巧的過ぎる、という批評もあります。
たしかに、お谷は「饅頭娘」で、夫政右衛門が弟志津馬の助太刀が出来るように、離縁される「奇手」に納得し、「去られて嬉しい」とも言っていました。
しかしこの時、お谷は政右衛門の子を宿していました。
そして、いざ男の子の巳之助が生まれて見ると、「母」として、子を「父」に逢わせたい、親子三人、改めてその絆を確認したい、という痛切な本能が沸き起こったとしても、詮方ないことですし、むしろその方がより人間的な選択だったと言えるのではないでしょうか。

癪と寒さに苦しむお谷の述懐は悲痛を極めます。そして、それを内で聴いている夫政右衛門は、お谷を助けようとする老母を「主幸兵衛殿の留守に怪しいものを引き入れては」と引き止めます。ここでお谷を内に入れては、自分の正体も明らかになり、敵股五郎の手がかりも失ってしまう。しかし…。
お谷の述懐を老母に聞かせまいと、タバコを切る包丁を遣いながら、政右衛門の身も心も切り裂かれているのです。

「来いというたとて行かれる道か、道は四十五里波の上」
これは老母の糸繰り歌で、三味線が、糸車の廻る音を繊細に表現します。
お谷の癪に苦しみながらの述懐。
「ハア、どこへ往ても一人旅は泊てくりょう様もなし。遙々の海山も、この子の顔を旦那殿に見せたいと思ふ精力で、産み落すからこの巳之助、漸々忌も明くや明かず、国を立つてついに一夜さ、家の下で寝たことがなけりや、身はならわしと山寺の、鐘がなれば寝ることにして、星の光を燈火と、思うて寝入れど、今夜の暗さ。
氷の様なこの肌で、寝苦しいは道理じや、道理じや、道理じやわいの。
殊更癪で乳は張らず、雪に凍え雨に打たるる、辛さは骨に堪ゆれども、旦那殿や弟が、敵を尋ねる辛抱は、まだまだまだこんなことではあるまいに、その艱難に比べては、雪は愚か剣の上にも寝るのがせめて女房の役。
気は張り詰めてもこの癪の、重るにつけては二人の身に、疲れの病いが起りはせぬか、万一悲しい便りなど聞いたら、わしや、わしや、何としょうぞいの。頼み上げるは観音様、弟夫の武運長久。わが子の命息災延命。
未練なことじやが私も、この子を夫に渡すまでは生きていたい、生きていたい、死にともない」。

「未練なことじやが私も、この子を夫に渡すまでは生きていたい、生きていたい、死にともない」。ここに、時空を超えた一人の人間の叫びがあります。
苦しみのあまり倒れたお谷に、内で、上手の老母に見られぬよう袖で隠して「南無阿弥陀南無阿弥陀、南無阿弥陀仏」と唱える政右衛門も、心のうちで慟哭しています。
大夫・三味線・人形三者がハラに矯める、見せ所です。


なまえ
犬丸 治   いぬまる・おさむ
演劇評論家
 1959年東京生れ。慶應義塾経済学部卒。
「テアトロ」「読売新聞」に歌舞伎評掲載。歌舞伎学会運営委員。著書「市川海老蔵」「歌舞伎と天皇 『菅原伝授手習鑑』精読」(いずれも岩波現代文庫)ほか。


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